桜が咲いてから一度も雨がありません。例年雨風で散ってしまうのにこんな桜日和のシーズンは初めてです。学校の入学式までには何とか咲いててほしいと願っています。しかし、本当に教習所前の桜並木は綺麗です。京都には多くの桜の名所がありますが、毎日見慣れた桜を見ていると「自分の教習所前の桜が一番」と思ってしまいます。
先日、この桜並木に誰かが置いて行ったゴミを掃除している若い男女二人組のカップル(最近ではカップルって言わないのかな)がおられました。決して自分たちが置いて行ったゴミではなく、明らかに知らない人が花見をして飲食したゴミやペットボトルや空き缶。それを二人が拾って綺麗にしておりました。
誰が置いて行ったゴミなのかわかりませんが、コンビニの袋にゴミがいっぱいになっていました。その時に私は「このような心優しい人が車を運転すると安全運転も自然にできるのだろうな」と思いました。人に言われてゴミを拾っているわけでもなく、誰が置いて行ったゴミかもわからないのに、世の中奉仕する気持ちが大切だと思います。
究極の安全運転とは、教習所で教えるルールやマナーだけでなく、日々生活の中での人が本来持っている「やさしさ」ではないかと思います。電車で席を譲る=道を譲る、みたいな感じで日々の生活での人の「やさしさを持った行動」が車を運転する際にも大切なのではないと思います。ただやさしさを思っているだけではなく、行動することが大切なのです。
良く、言葉で良いことを言っているのに全然行動が伴っていない人がいますが、それは偽善者。人から見返りを期待したりするのもダメです。そんな人は他から人間的にスカスカの状態で見破られます。そしてやさしさが続かない。ホントです。自分が幸せになりたいなら、他の人に奉仕して喜んでもらう、感謝してもらう。自分が事故を起こしたくないなら他の人に喜んでもらう。感謝してもらえる。安心を与えられる運転をすることです。これがきんき安全自動車学校の教習生に教えていることです。ルールやマナーの形式的な教習内容より何十倍も大切です。
二人にお手伝いの声をかけると京都外国語大学の学生さんでした。二人は挨拶も本当にさわやかで気持ちの良い光景でした。大人である私が見習うことがたくさんありました。